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最大判昭44.4.2 都教組

最大判昭44.4.2 都教組

昭和41()401 地方公務員法違反 昭和440402日 大法廷 判決 破棄自判 刑集 第235305

 

東京高等裁判所 昭和401116

 

判示事項

 地方公務員法三七条六一条四号の合憲性

 地方公務員法六一条四号の適用が許されないとされた事例

裁判要旨

 地方公務員法三七条は憲法二八条に、地方公務員法六一条四号は憲法二八条、三一条、一八条に違反しない。

 A教職員組合が、文部省の企図した公立学校教職員に対する勤務評定の実施に反対するため、一日の一せい休暇闘争を行なうにあたり、被告人らが組合の幹部としてした闘争指令の配布、趣旨伝達等、争議行為に通常随伴する行為に対しては、地方公務員法六一条四号所定の刑事罰をもつてのぞむことは許されない。

参照法条

憲法28条,憲法31条,憲法18条,地方公務員法37条,地方公務員法614

 

         主    文

     原判決を破棄する。

     被告人らはいずれも無罪。

 

         理    由

 弁護人佐伯静治外二七名の上告趣意について。

 論旨は、憲法違反、条約違反、判例違反、判断遺脱その他きわめて多岐にわたるが、要するに、地方公務員法(以下地公法という。)三七条の定める争議行為の禁止が憲法二八条に違反し、かつ、ILO八七号条約および国際慣習法規にも違反し、ひいては憲法九八条二項にも違反する旨の主張と、地公法六一条四号の定める争議行為のあおり行為等に対する刑事罰が憲法二八条、一八条、三一条に違反し、かつ、ILO八七号条約および国際慣習法規にも違反し、ひいては憲法九八条二項にも違反する旨の主張とを骨子とし、あわせて、地公法六一条四号の定める「あおり」の要件についての解釈適用の誤り、原判決の刑訴法四〇〇条但書違反および原判決の判断遺脱を主張するものである。当裁判所は、結論として、原判決を破棄し、被告人全員を無罪とすべきものとするが、その理由は、つぎのとおりである。

、公務員の労働基本権について、当裁判所は、さきに、昭和四一年一〇月二六日の判決(いわゆるB事件判決[全逓東中郵]において、つぎのとおり判示した。

 「憲法二八条は、いわゆる労働基本権、すなわち、勤労者の団結する権利および団体交渉その他の団体行動をする権利を保障している。この労働基本権の保障の狙いは、憲法二五条に定めるいわゆる生存権の保障を基本理念とし、勤労者に対して人間に値する生存を保障すべきものとする見地に立ち、一方で、憲法二七条の定めるところによつて、勤労の権利および勤労条件を保障するとともに、他方で、憲法二八条の定めるところによつて、経済上劣位に立つ勤労者に対して実質的な自由と平等とを確保するための手段として、その団結権、団体交渉権、争議権等を保障しようとするものである。

 このように、憲法自体が労働基本権を保障している趣旨にそくして考えれば、実定法規によつて労働基本権の制限を定めている場合にも、労働基本権保障の根本精神にそくしてその制限の意味を考察すべきであり、ことに生存権の保障を基本理念とし、財産権の保障と並んで勤労者の労働権・団結権・団体交渉権・争議権の保障をしている法体制のもとでは、これら両者の間の調和と均衡が保たれるように、実定法規の適切妥当な法解釈をしなければならない。

 右に述べた労働基本権は、たんに私企業の労働者だけについて保障されるのではなく、公共企業体の職員はもとよりのこと、国家公務員や地方公務員も、憲法二八条にいう動労者にほかならない以上、原則的には、その保障を受けるべきものと解される。」

 右判決に示された基本的立場は、本件の判断にあたつても、当然の前提として、維持すべきものと考える。

 右のような見地に立つて考えれば、「公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」とする憲法一五条を根拠として、公務員に対して右の労働基本権をすべて否定するようなことが許されないことは当然であるが、公務員の労働基本権については、公務員の職務の性質・内容に応じて、私企業における労働者と異なる制約を受けることのあるべきことも、また、否定することができない。ところで、公務員の職務の性質・内容は、きわめて多種多様であり、公務員の職務に固有の、公共性のきわめて強いものから、私企業のそれとほとんど変わるところがない、公共性の比較的弱いものに至るまで、きわめて多岐にわたつている。したがつて、ごく一般的な比較論として、公務員の職務が、私企業や公共企業体の職員の職務に比較して、より公共性が強いということができるとしても、公務員の職務の性質・内容を具体的に検討しその間に存する差異を顧みることなく、いちがいに、その公共性を理由として、これを一律に規制しようとする態度には、問題がないわけではない。ただ、公務員の職務には、多かれ少なかれ、直接または間接に、公共性が認められるとすれば、その見地から、公務員の労働基本権についても、その職務の公共性に対応する何らかの制約を当然の内在的制約として内包しているものと解釈しなければならない。しかし、公務員の労働基本権に具体的にどのような制約が許されるかについては、公務員にも労働基本権を保障している叙上の憲法の根本趣旨に照らし、慎重に決定する必要があるのであつて、その際考慮すべき要素は、前示B事件判決において説示したとおりである(最高刑集二〇巻八号九〇七頁から九〇八頁まで)。地公法三七条および六一条四号が違憲であるかどうかの問題は、右の基準に照らし、ことに、労働基本権の制限違反に伴う法律効果、すなわち、違反者に対して課せられる不利益については、必要な限度をこえないように十分な配慮がなされなければならず、とくに、勤労者の争議行為に対して刑事制裁を科することは、必要やむをえない場合に限られるべきであるとする点に十分な考慮を払いながら判断されなければならないのである。

 (イ) ところで、地公法三七条、六一条四号の各規定が所論のように憲法に違反するものであるかどうかについてみると、地公法三七条一項には、「職員は、地方公共団体の機関が代表する使用者としての住民に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をし、又は地方公共団体の機関の活動能力を低下させる怠業的行為をしてはならない。又、何人も、このような違法な行為を企て、又は遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおつてはならない。」と規定し、同法六一条四号には、「何人たるを問わず、第三十七条第一項前段に規定する違法な行為の遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおり、又はこれらの行為を企てた者」は三年以下の懲役または一〇万円以下の罰金に処すべき旨を規定している。これらの規定が、文字どおりに、すべての地方公務員の一切の争議行為を禁止し、これらの争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、あおる等の行為(以下、あおり行為等という。)をすべて処罰する趣旨と解すべきものとすれば、それは、前叙の公務員の労働基本権を保障した憲法の趣旨に反し、必要やむをえない限度をこえて争議行為を禁止し、かつ、必要最小限度にとどめなければならないとの要請を無視し、その限度をこえて刑罰の対象としているものとして、これらの規定は、いずれも、違憲の疑を免れないであろう。

 しかし、法律の規定は、可能なかぎり、憲法の精神にそくし、これと調和しうるよう、合理的に解釈されるべきものであつて、この見地からすれば、これらの規定の表現にのみ拘泥して、直ちに違憲と断定する見解は採ることができない。すなわち、地公法は地方公務員の争議行為を一般的に禁止し、かつ、あおり行為等を一律的に処罰すべきものと定めているのであるが、これらの規定についても、その元来の狙いを洞察し労働基本権を尊重し保障している憲法の趣旨と調和しうるように解釈するときは、これらの規定の表現にかかわらず、禁止されるべき争議行為の種類や態様についても、さらにまた、処罰の対象とされるべきあおり行為等の態様や範囲についても、おのずから合理的な限界の存することが承認されるはずである。

 かように、一見、一切の争議行為を禁止し、一切のあおり行為等を処罰の対象としているように見える地公法の前示各規定も、右のような合理的な解釈によつて、規制の限界が認められるのであるから、その規定の表現のみをみて、直ちにこれを違憲無効の規定であるとする所論主張は採用することができない。

 (ロ) また、論旨は、前示地公法の各規定がILO八七号条約、ILO一〇五号条約、教員の地位に関する勧告、国際慣習法に違反し、したがつてまた、憲法九八条二項に違反するものと主張するが、ILO八七号条約は、争議権の保障を目的とするものではなく、ILO一〇五号条約および教員の地位に関する勧告は、未だ国内法規としての効力を有するものではなく、また、公務員の争議行為禁止措置を否定する国際慣習法が現存するものとは認められないから、所論は、すべて採用することができない。

 

、つぎに、地方公務員の争議行為についてみるに、地公法三七条一項は、すべての地方公務員の一切の争議行為を禁止しているから、これに違反してした争議行為は、右条項の法文にそくして解釈するかぎり、違法といわざるをえないであろう。しかし、右条項の元来の趣旨は、地方公務員の職務の公共性にかんがみ、地方公務員の争議行為が公共性の強い公務の停廃をきたし、ひいては国民生活全体の利益を害し、国民生活にも重大な支障をもたらすおそれがあるので、これを避けるためのやむをえない措置として、地方公務員の争議行為を禁止したものにほかならない。ところが、地方公務員の職務は、一般的にいえば、多かれ少なかれ、公共性を有するとはいえ、さきに説示したとおり、公共性の程度は強弱さまざまで、その争議行為が常に直ちに公務の停廃をきたし、ひいて国民生活全体の利益を害するとはいえないのみならず、ひとしく争議行為といつても、種々の態様のものがあり、きわめて短時間の同盟罷業または怠業のような単純な不作為のごときは、直ちに国民全体の利益を害し、国民生活に重大な支障をもたらすおそれがあるとは必ずしもいえない。地方公務員の具体的な行為が禁止の対象たる争議行為に該当するかどうかは、争議行為を禁止することによつて保護しようとする法益と、労働基本権を尊重し保障することによつて実現しようとする法益との比較較量により、両者の要請を適切に調整する見地から判断することが必要である。そして、その結果は、地方公務員の行為が地公法三七条一項に禁止する争議行為に該当し、しかも、その違法性の強い場合も勿論あるであろうが、争議行為の態様からいつて、違法性の比較的弱い場合もあり、また、実質的には、右条項にいう争議行為に該当しないと判断すべき場合もあるであろう。

 また、地方公務員の行為が地公法三七条一項の禁止する争議行為に該当する違法な行為と解される場合であつても、それが直ちに刑事罰をもつてのぞむ違法性につながるものでないことは、同法六一条四号が地方公務員の争議行為そのものを処罰の対象とすることなく、もつぱら争議行為のあおり行為等、特定の行為のみを処罰の対象としていることからいつて、きわめて明瞭である。かえつて、同法三七条二項は、職員で同条一項に違反する行為をしたものは、地方公共団体に対して保有する任命上または雇用上の権利をもつて対抗することができないという不利益を課しているにすぎないことを注意すべきである。したがつて、地方公務員のする争議行為については、それが違法な行為である場合に、公務員としての義務違反を理由として、当該職員を懲戒処分の対象者とし、またはその職員に民事上の責任を負わせることは、もとよりありうべきところであるが、争議行為をしたことそのことを理由として刑事制裁を科することは、同法の認めないところといわなければならない。

 ところで、地公法六一条四号は、争議行為をした地方公務員自体を処罰の対象とすることなく、違法な争議行為のあおり行為等をした者にかぎつて、これを処罰することにしているのであるが、このような処罰規定の定め方も、立法政策としての当否は別として、一般的許されないとは決していえない。ただ、それは、争議行為自体が違法性の強いものであることを前提とし、そのような違法な争議行為等のあおり行為等であつてはじめて、刑事罰をもつてのぞむ違法性を認めようとする趣旨と解すべきであつて、前叙のように、あおり行為等の対象となるべき違法な争議行為が存しない以上、地公法六一条四号が適用される余地はないと解すべきである。(もつとも、あおり行為等は、争議行為の前段階における行為であるから、違法な争議行為を想定して、あおり行為等をした場合には、仮りに予定の違法な争議行為が実行されなかつたからといつて、あおり行為等の刑責は免れえないものといわなければならない。)

 つぎに、あおり行為等の意義および要件については、意見の分かれるところであるが、一般に「あおり」の意義については、違法行為を実行させる目的で、文書、図画、言動により、他人に対し、その実行を決意させ、またはすでに生じている決意を助長させるような勢のある刺激を与えることをいうと解してよいであろう(昭和三三年(あ)第一四一三号、同三七年二月二一日大法廷判決、刑集一六巻二号一〇七頁参照)。しかし、地公法でいう争議行為等のあおり行為等がすべて一律に処罰の対象とされうべきものであるかどうかについては、慎重な考慮を要する。問題は、結局、公務員についても、その労働基本権を尊重し保障しようとする憲法上の要請と、公務員については、その職務の公共性にかんがみ、争議行為を禁止すべきものとする要請との二つの相矛盾する要請を、現行法の解釈のうえで、どのように調整すべきかの点にあり、労働基本権尊重の憲法の精神からいつて、争議行為禁止違反に対する制裁、とくに刑事罰をもつてする制裁は、極力限定されるべきであつて、この趣旨は、法律の解釈適用にあたつても、十分尊重されなければならない。そして、地公法自体は、地方公務員の争議行為そのものは禁止しながら、右禁止に違反して争議行為をした者を処罰の対象とすることなく、争議行為のあおり行為等にかぎつて、これを処罰すべきものとしているのであるが、これらの規定の中にも、すでに前叙の調整的な考え方が現われているということができる。しかし、さらに進んで考えると、争議行為そのものに種々の態様があり、その違法性が認められる場合にも、その強弱に程度の差があるように、あおり行為等にもさまざまの態様があり、その違法性が認められる場合にも、その違法性の程度には強弱さまざまのものがありうる。それにもかかわらず、これらのニユアンスを一切否定して一律にあおり行為等を刑事罰をもつてのぞむ違法性があるものと断定することは許されないというべきである。ことに、争議行為そのものを処罰の対象とすることなく、あおり行為等にかぎつて処罰すべきものとしている地公法六一条四号の趣旨からいつても、争議行為に通常随伴して行なわれる行為のごときは、処罰の対象とされるべきものではない。それは、争議行為禁止に違反する意味において違法な行為であるということができるとしても、争議行為の一環としての行為にほかならず、これらのあおり行為等をすべて安易に処罰すべきものとすれば、争議行為者不処罰の建前をとる前示地公法の原則に矛盾することにならざるをえないからである。したがつて、職員団体の構成員たる職員のした行為が、たとえ、あおり行為的な要素をあわせもつとしても、それは、原則として、刑事罰をもつてのぞむ違法性を有するものとはいえないというべきである。

 

、これを本件についてみるに、原審の確定したところによれば、文部省が企図した公立学校教職員に対する勤務評定の実施に反対するC教組の方針に則り、A教組も、その定例委員会において、休暇闘争を含む実力行使をもつてこれに対応する方針をきめたが、都教育長は、昭和三三年四月一九日に、同月二三日の都教育委員会に勤務評定規則案を上程する旨の告示をすると言明し、爾後の話合いを拒否するに至つたので、A教組は、同月二一日に、「組合員は勤務評定を実施させない措置を地公法四条に基いて人事委員会に要求せよ。右手続は昭和三三年四月二三日午前八時から開催する全員集会で取りまとめて提出せよ。(右手続に必要な休暇請求は同日までに行う)との指令を発し、右指令に基づいて、同月二三日一日の一せい休暇闘争を行なつたというのであり、原判決は、右は同盟罷業にあたるものとし、被告人らがしたその指令配布、趣旨伝達等の行為について、被告人らは地公法六一条四号の争議行為の遂行をあおつたものとして、同条の刑責を免れないとしているのである。

 しかし、本件をさきに詳細に説示した当裁判所の考え方に従つて判断すると、本件の一せい休暇闘争は、同盟罷業または怠業にあたり、その職務の停廃が次代の国民の教育上に障害をもたらすものとして、その違法性を否定することができないとしても、被告人らは、いずれもA教組の執行委員長その他幹部たる組合員の地位において右指令の配布または趣旨伝達等の行為をしたというのであつて、これらの行為は、本件争議行為の一環として行なわれたものであるから、前示の組合員のする争議行為に通常随伴する行為にあたるものと解すべきであり、被告人らに対し、懲戒処分をし、または民事上の責任を追及するのはともかくとして、さきに説示した労働基本権尊重の憲法の精神に照らし、さらに、争議行為自体を処罰の対象としていない地公法六一条四号の趣旨に徴し、これら被告人のした行為は、刑事罰をもつてのぞむ違法性を欠くものといわざるをえない。したがつて、被告人らは、あおり行為等についての刑責を免れないとした原判決の右判断は、法令の解釈適用を誤つたもので、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものといわざるをえない。

 よつて、その余の論旨に対する判断を省略し、刑訴法四一一条一号により原判決を破棄し、同法四一三条但書、四一四条、四〇四条、三三六条により被告人らに無罪の宣告をなすべきものとし、主文のとおり判決する。

 この判決は、裁判官松田二郎の補足意見、裁判官入江俊郎、同岩田誠の各意見および裁判官奥野健一、同草鹿浅之介、同石田和外、同下村三郎、同松本正雄の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

 

 裁判官松田二郎補足意見は、次のとおりである。

 私は、多数意見に従うものであるが、奥野裁判官らの反対意見について若干自己の考をのべたい。

 (一) 反対意見は、地方公務員法三七条一項後段は「何人も」、六一条四号は「何人たるとを問わず」あおり行為をした者を処罰する旨規定していることを根拠として、多数意見の「あおり」についての見解を目して、条文の限定解釈なりとし、法の明文に反する一種の立法であり、法解釈の域を逸脱したものと評するのである。

 たしかに、「あおり」行為について、条文上何等の限定の設けられていないことは、反対意見のいうとおりである。しかし、いうまでもなく、刑罰法規の解釈は、単に条文を外部より観察するものでなく、その内容に立入つてその意味を明らかにするものである以上、それは単なる文理的解釈に止まるべきではないのである。ことに、日常用語が同時に法律用語たる場合にあつては、日常用語としての意味や語感に禍されることなく、その刑罰規定の趣旨・目的に従つてその規範的意味内容を明らかにすべきであつて、「あおり」が日常用語として巾広い概念であつても、刑罰法規の解釈はこれに拘束されるべきではない。そして、勤労者の争議行為に対して刑事制裁を科することは、必要止むを得ない場合のみに限られるべしとのB事件判決(当裁判所昭和三九年(あ)第二九六号同四一年一〇月二六日大法廷判決、刑集二〇巻八号九〇一頁)において当裁判所の示した基本的立場に即するとき、多数意見の「あおり」行為についてなした解釈の正当性を理解し得るのである。私は、右の中郵事件の判決において、「労働法規が争議行為を禁止しこれを違法として解雇などの不利益な効果を与えているからといつて、そのことから直ちにその争議行為が刑罰法規における違法性、すなわち、いわゆる可罰的違法性まで帯びているとはいえない」との意見をのべた(右判例集九一六頁)。多数意見の「あおり」行為の解釈は、これと同一の趣旨に基づくものと思う。そして、この見解よりすれば、前記法条の文言上限定のないことを根拠として「あおり」行為の意味を定めんとする反対意見には、到底賛し得ないのである。

 更に、反対意見は、「あおり」についての多数意見を目して法解釈の域を「逸脱」したものとして非難する。思うに、従来、刑罰法規の解釈は厳格であることを要すとされ、その根拠として屡々罪刑法定主義が採用されるのである。しかしながら、本件における多数意見は、形式上より見ても、いわば条文を狭く解釈したものであつて、何等条文の拡張又は類推解釈をしたものでもない。換言すれば、多数意見の「あおり」についての解釈は、条文の枠内に止まるものであつて、反対意見のいう如く、これを「逸脱」したものでないことは明らかである。

 (二) 多数意見が被告人らの本件行為は刑事罰をもつてのぞむ違法性を欠くというのに対し、反対意見は、その行為を違法とし、これに刑罰を科することを主張するものである。すなわち、反対意見は、被告人らに刑罰を科することによつて、社会的秩序の維持に資そうとするものといえよう。

 ここにおいて問題となるのは、反対意見のいう「違法性」の意味である。そして、反対意見の違法性についての考方は、既に前記中郵事件に示されている(本件における反対意見を採る五人の裁判官のうち奥野、草鹿、石田の三裁判官は、先にB事件においても、五鬼上裁判官と合して四名で反対意見を採られたのであり、また下村裁判官はB事件の反対意見と同意見であるから(昭和三六年(あ)第八二三号同四一年一一月三〇日大法廷判決、刑集二〇巻九号一〇七六頁)、B事件における反対意見の違法性についての考は、本件における反対意見の違法性の考と同じであるといえる)。そして、B事件において、反対意見はいう「行為の違法性はすべての法域を通じて一義的に決せられるべきである」(右B事件判決登載の判例集九二二頁)。この考、すなわち、違法性についての「一義的」考によれば、刑法上違法と評価される行為は、民法その他の領域においても、統一的に違法と評価されるのであるが、しかし、刑法上違法と評価されない行為は、他の法域においても違法とされることなく、すなわち、法律上何等の責任を生じないということになるのである。従つて、かかる考に立つ者より見れば、本件行為を処罰するのでなければ、被告人らに対して民事上その他の責任を追及することも不可能となるべく、この点の考慮よりしても、被告人らの本件行為を罰すべきことが社会的秩序維持のため、きわめて必要となるのであろう。そして、かかる考に立つ者より見れば、或は、被告人らの本件行為を罰しない見解は、社会的秩序の混乱に対して無関心のものとさえ映じるかも知れない。

 私は、先のB事件において、「行為の違法性を一義的に解すべきでなく、刑法において違法とされるか否かは、他の法域における違法性と無関係ではないが、しかし、別個独立に考察されるべき問題である」との趣旨の意見を述べた(右B事件判決登載の判例集九一六頁)。この見地に立つとき、被告人らの本件行為が罰されないにしても、そのことは被告人らの行為が私法上、労働法上において、又は地方公務員法上において、違法であるか否かと必然的関連はなく、これらは刑事上の責任とは別個に考察されるべきものなのである。そして、若し、被告人らの行為が刑罰法令違反以外のかかる点において違法であるならば、その責任が追及されるべきは当然であり、或は民事上の責任を負い、或は公務員として懲戒され、免職されることすらあるべきであろう。多数意見が被告人らの本件行為を罰しないというのは、決して被告人らが民事上の責任がないとか、公務員として責任がないとかいうことを意味するものではない。ただ、刑事的責任がないというに止まるのである。そして、前記B事件の判決は、「違法性は一義的に決すべし」との考に対して、最高裁判所が、それを採り得ないとした点にきわめて重要な意味をもつものといえよう。B事件の判決のこの意義は誤解されてはならないのである(因みに、ひとしく過失といつても、刑事責任としての過失と民事責任としての過失とは、別個の考察を要するものである)

 思うに、刑罰は、科せられる者に対して強烈な苦痛すら伴うもつとも不利益な法的効果を伴うものであるから、刑事的制裁は社会秩序維持の上においてきわめて大きな機能を果すものである。現に、わが国においては、刑事的制裁が刑事責任追及の域を越えて他の法域において解決すべき問題、たとえば、民事的又は労働法上の責任追及の関係に対しても、大きな影響を及ぼしつつあることは、われわれの知るところであり、それはいわば刑事的制裁の副次的作用ともいうべきものであるが、社会状態のおだやかならざる時代においては、民事上の責任、労働法上の責任などの追及に代えて、刑事的制裁によつて社会秩序の維持を図らんとし、従つて刑事的制裁に期待する傾向が高まりがちである。もとより、この点に関して、われわれは、わが国における民事訴訟制度の機能が十分でないこと―現にその一例として、わが国の大都市における民事部の数の刑事部の数に対する比率が、ドイツなどのそれに比較して極めて低いことを指摘し得る―に対して、真剣に考慮を払うべきであろう。しかしながら、刑事的制裁の威力を頼みにして、これに刑事的責任以外の責任、たとえば民事的責任追及のための代用品的作用をもあまりに行なわしめるべきではないのである。かかることは、民事責任と刑事責任の分化のなかつた時代、裁判といえば刑事裁判を考えがちだつた時代に逆行する事態を生じる危険を伴うのである。われわれは、すべからく、B事件の判決の精神に即して、刑事裁判をして、本来の領域に止まらしむべきであろう。

 要するに、反対意見が違法性を一義的に解することは、ややもすると、違法即刑罰とする考に導き易いことを私は虞れるのである。この意味においても、私は、反対意見をもつて不当と思わざるを得ない。

 

 裁判官入江俊郎意見1は、次のとおりである。

 私は、多数意見と結論を同じくし、また、その理由の大部分についてはこれに同調するが、ただ一点だけ多数意見と根本的に考え方を異にする。そしてこの点は、本件においては、判決の結果に影響のない論点のごとくではあるが、他日他の類似の事案が問題となつた場合には判決の結果を左右することのありうべき問題であるから、この際右の点につき私の意見を表示する。また、本件で問題となつたあおり行為等の刑罰規定の適用につき、そのあおり行為等がその対象とされた争議行為に通常随伴するものと認められるものであるか否かについて、若干の補足意見を表示する。そしてこれらの点に関する私の意見は、昭和四一年(あ)第一一二九号国家公務員法違反等被告事件の判決に付した私の意見と趣旨を同じくするので、それを本件に援用する。

 

 裁判官岩田誠意見2は、次のとおりである。

、法律の規定をその文字どおりに解釈すると違憲の疑のある場合には、これに可能なかぎり合理的限定解釈を加え憲法の趣旨に調和するよう解釈すべきものであり、地方公務員法(以下地公法という。)六一条四号の規定を解釈するに当つても、右のような限定解釈を加うべきものであることは多数意見の判示するとおりである。

、よつて按ずるに、地公法六一条四号は、争議行為自体を行なつた者は処罰しないけれども、争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、あおり、またはこれらの行為を企てた者を処罰する旨定めている。しかし、職員組合の行なう争議行為は、通常組合の役員または組合員から発案され、所定の議決機関の決議を経、これに従つて実行されるものと解されるので、右争議行為の「遂行を共謀し、そそのかし、あおり、企てる」行為(以下「あおり行為等」という。)のような行為が、その組合において本来の目的たる勤務条件の維持改善、経済的地位の向上およびこれと関連する事項を目的とし、自主的に行なう争議行為の発案、計画、遂行の過程として行なわれる場合にこれを刑罰をもつて処罰することは、結局刑罰をもつて、すべての公務員に対し、一切の争議行為を禁止することになり、憲法二八条に違反する疑が生ずる。したがつて、地公法によつて認められた地方公務員の職員組合がその本来の目的達成のため自主的に行なう争議行為の発案、計画、遂行の過程として行なわれる「あおり行為等」(組合の役員または組合員は勿論、それ以外の者であつても、その組合の上部組織若しくは連合体の役員のような者によつて行なわれても)、暴力等を伴わないかぎり、地公法六一条四号にいう「第三十七条第一項前段に規定する違法な行為の遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおり、又はこれらの行為を企てた」場合に当らないものとして処罰の対象にならないと解すべきである。

 これを要するに、組合本来の目的を越えて行なわれたと認められる地方公務員の争議行為に対する「あおり行為等」、および組合が自主的に行なう争議行為の発案、計画、遂行の過程として行なわれるものでない一切の「あおり行為等」は、本条項に該当し、処罰の対象となるものと解する。何となれば右各行為はいずれも憲法二八条が勤労者に保障する労働基本権の行使とはいえないからである。

 以上の考えに立つて本件を見るに、被告人らの本件行為は、被告人らの属する職員団体であるA教組がその本来の目的達成のために自主的に発案、計画した争議行為遂行の過程としての指令の配布、その趣旨の伝達等をしたものであつて、地公法六一条四号にいうあおり行為にあたらないものとして罪とならないものである。

、多数意見は、地公法六一条四号を限定的に解釈するにあたり、「あおり行為等」の対象となる争議行為は、地公法三七条一項の規定上違法であつても、その違法性には強弱があり、「あおり行為等」を処罰し得るのは、争議行為自体が違法性の強いものであることを前提とし、そのような違法性の強い争議行為等の「あおり行為等」に限るとしている。

 しかし私は、「あおり行為等」の対象となる争議行為(地公法三七条一項は、地方公務員の争議行為を禁止しているから地方公務員の争議行為は地公法上は原則として違法である。〔刑事罰をもつてのぞむべき違法の意ではない。〕)について、その違法性の強弱により地公法六一条四号の適用の有無を決すべきではないと思う。「あおり行為等」の対象となつた争議行為が、地方公務員の勤務条件の維持改善、経済的地位の向上およびこれと関連する事項を目的とするものではなく、例えば政治的意図の達成を目的とするものであるときは、かかる争議行為は憲法二八条の保障するところではないから、かゝる争議行為を対象とする「あおり行為等」は、それが争議行為に通常随伴するものであると否とを問わず、憲法二八条の保障する労働基本権の行使とはいえない。また「あおり行為等」についても争議行為に通常随伴する行為は、違法性が弱いから処罰されないというのは賛同できない。むしろかゝる行為は、対象たる争議行為が組合の本来の目的達成のための争議行為である限り、憲法二八条の保障する勤労者の労働基本権なかんづく団体行動権の行使と認められるから、かゝる行為は、地公法六一条四号のいう「あおり行為等」にあたらないので処罰できないというべきものと思料する。

 

 裁判官奥野健一、同草鹿浅之介、同石田和外、同下村三郎、同松本正雄反対意見は、次のとおりである。

 国家公務員は、国民の信託により、全体の奉仕者として国政に干与するものであつて、その使用者である国民大衆に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をなすことは、国民の信託に叛き、国政の活動を停廃せしめ、国民生活に重大な障害をもたらし、公共の福祉に反するものであるから、国家公務員法(昭和四〇年法律第六九号による改正前のもの、以下同じ)九八条五項は、違法な行為として、これを禁止しているのである。また、地方公務員法三七条一項は、同様の趣旨において地方公務員の争議行為を違法な行為として禁止しているのである。これら公務員の争議行為の禁止は、公共の福祉の要請に基づくものであつて、憲法二八条に違反するものということはできない。

 法は、右の如く公務員の争議行為を違法な行為として禁止しながらも、それに違反して争議行為自体に参加した個々の公務員に対しては、刑罰を科することなく、公務員として保有する任命上又は雇用上の権利を奪う制裁を科し得るに止めている。しかし、法は、公務員の争議行為が国民又は地方住民に対し、重大な損害を与えるものであることに鑑み、かかる違法な争議行為の原動力となり、これを誘発、指導、助成する、いわゆる煽動者等に対しては刑事制裁を科し、もつて違法な争議行為の禁遏の実を挙げようとしているのである。すなわち、違法な争議行為に原動力を与える者は、単なる争議に参加した者に比して、反社会性の強いものとして、特別の可罰性を認めるべきであるとの観点から、争議に対し指導的役割をなす煽動者等のみを処罰することにより、違法な争議行為の防止と刑政の目的を達し得るものと考えたのである。かくの如く、集団行動による違法行為について、その原動力となつた煽動行為等の違法性を特に重視することは十分合理性のあることであり、内乱罪、騒擾罪などの処罰方式の例にも見られるところであり、決して不合理な立法ではなく、固より、立法政策の範囲内に属するものであつて、違憲とはいい難い。

 そして、法が違法な争議行為に対する誘発、指導、助成の原動力となるものとして処罰せんとする「あおり」についていえば、「あおり」の概念は、「違法行為を実行させる目的をもつて、他人に対し、その行為を実行する決意を生ぜしめるような、またはすでに生じている決意を助長させるような勢のある刺激を与えること(昭和三三年(あ)第一四一三号同三七年二月二一日大法廷判決、刑集六巻二号一〇七頁参照)をいうものと解するのが相当であり、その構成要件の内容が漠然としているものではない。そして法は、「あおり」行為について何らの限定を設けていないのであるから、いやしくも前記「あおり」の行為に該当するものである限り、これを可罰性のある違法な行為とする趣旨であつて、これらの行為をその違法性の強弱によつて区別し、特に違法性の強いものに対してのみ刑事制裁を科するものであると解する余地は、法文上考えられないところである。

 「あおり」の対象となつた争議行為自体の態様により、その違法性の強いもの、ないし刑事罰をもつてのぞむべき違法性のあるものである場合に限つて、「あおり」を処罰する趣旨であると解することも到底是認できない。けだし、法は、争議行為自体を処罰しないとしながら、敢てこれをあおつた者を処罰すると規定しているのであるから、違法性の強いもの、ないし刑事罰をもつてのぞむべき違法性のある争議行為をあおつた場合に限り、あおり行為を処罰する趣旨と解することは、ことさらに明文に反する解釈であるからである。

 それ故、「あおりの」罪が成立するためには、その「あおり」の対象となつた争議行為自体の正当性の有無を論ずる余地はなく、したがつて、その争議行為が例えば政治的目的のために行なわれたものであるか否かという如きことは、同罪の成否になんら影響を及ぼすものではないというべきである。しかも、もともと法律上争議権を否定された公務員が、「正当な争議行為」をすることができないのは当然であるから、国家公務員法附則一六条、地方公勝員法五八条の規定をまつまでもなく、争議行為として「正当なもの」について、刑事免責を規定した労働組合法一条二項の規定が公務員の争議行為に適用の余地のないことは明白であつて、この点からいつても、「あおり」の対象となつた争議行為自体の正当性ないし刑事罰をもつてのぞむべき違法性の有無を論ずることは理由がないといわなければならない。

 また、争議には、企画、共謀、指令、伝達等は、通常、一般的に随伴し、争議と不可分の関係にあるものであつて、組合構成員は当然これに干与するのであるから、これを処罰することは、争議行為を処罰することになるから、組合構成員の「あおり」行為は除外すべきであるとの解釈論も是認することはできない。けだし、国家公務員法九八条五項後段、一一〇条一項一七号、地方公務員法三七条一項後段、六一条四号は、「何人も」および「何人たるを問わず」あおり行為をした者を処罰する旨を明定しており、あおつた者が組合構成員であると、組合構成員以外の第三者であると、また組合構成員がそれ以外の第三者と共謀した場合であるとを問わず、また争議に当然随伴し、これと不可分の関係において為した者であると否とを問わず、等しく処罰する趣旨であることが明白であるからである。

 これを要するに、「あおり」の概念を、強度の違法性を帯びるものに限定したり、「あおり」行為者のうち、組合構成員と組合外部の者とを区別し、外部の者の行為若しくはこれと共謀した者の行為のみを処罰の対象となると解したり、または「あおり」の対象となつた争議行為が違法性の強いもの、ないし刑事罰をもつてのぞむべき違法性のあるものである場合に限り、その「あおり」行為が可罰性を帯びるのであるというが如き限定解釈は、法の明文に反する一種の立法であり、法解釈の域を逸脱したものといわざるを得ない。

 従つて、以上に述べたところと解釈の結論を同じくする原判断は相当であり、弁護人のその余の所論は単なる訴訟法違反の主張にすぎないから、結局本件上告は棄却すべきものである。

 検察官 平出禾、同岡崎格、同川口光太郎、同高橋正八公判主席

  昭和四四年四月二日

     最高裁判所大法廷

            裁判官    入   江   俊   郎意見1

            裁判官    草   鹿   浅 之 介反対意見

            裁判官    城   戸   芳   彦

            裁判官    石   田   和   外反対意見

            裁判官    田   中   二   郎

            裁判官    松   田   二   郎補足意見

            裁判官    岩   田       誠意見2

            裁判官    下   村   三   郎反対意見

            裁判官    色   川   幸 太 郎

            裁判官    大   隅   健 一 郎

            裁判官    松   本   正   雄反対意見

            裁判官    飯   村   義   美

 裁判長裁判官横田正俊、裁判官奥野健一反対意見は、退官のため署名押印することができない。

            裁判官    入   江   俊   郎

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