最判昭63.12.20 とらわれの聴衆

最判昭63.12.20 とらわれの聴衆

昭和58()1022 商業宣伝放送差止等請求事件  昭和631220日 第三小法廷 判決 棄却 集民 第155377

 

大阪高等裁判所 昭和56()970 昭和580531

 

判示事項

市営地下鉄の列車内における商業宣伝放送に違法性がないとされた事例

裁判要旨

市営地下鉄の列車内における商業宣伝放送は、業務放送の後に「次は○○前です。」又は「○○へお越しの方は次でお降りください。」という企業への降車駅案内を兼ね、一駅一回五秒を基準とする方式で行われ、一般乗客にそれ程の嫌悪感を与えるものではないなど原判示の事情の下においては、これを違法ということはできない。

(補足意見がある。)

参照法条

民法415条,民法709条,民法710

 

         主    文

     本件上告を棄却する。

     上告費用は上告人の負担とする。

 

         理    由

 上告代理人中島馨、同山元真士、同井上隆彦、同木村清志、同藤井郁也、同戸田満弘、同青野秀治、同出水順、同堀野家苗、同山根宏、同釜田佳孝の上告理由について

 原審が適法に確定した事実関係のもとにおいて、被上告人の運行するD鉄道(地下鉄)の列車内における本件商業宣伝放送を違法ということはできず、被上告人が不法行為及び債務不履行の各責任を負わないとした原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。右違法のあることを前提とする所論違憲の主張も、失当である。論旨は、ひつきよう、独自の見解に立つて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

 よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官伊藤正己の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

 

 裁判官伊藤正己補足意見は、次のとおりである。

 私もまた、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいては、上告人の本訴請求を棄却すべきものとした原判決は是認することができると考える。しかし、本件は、聞きたくないことを聞かない自由を法的利益としてどのように把握するか、また地下鉄の車内のようないわば閉ざされた場所における情報伝達の自由をどのように考えるかという問題にかかわるものであるから、これらの問題について若干の意見を述べておくことにしたい。

 原判決の説示によれば、人は、法律の規定をまつまでもなく、日常生活において見たくないものを見ず、聞きたくないものを聞かない自由を本来有しているとされる。私は、個人が他者から自己の欲しない刺戟によつて心の静穏を乱されない利益を有しており、これを広い意味でのプライバシーと呼ぶことができると考えており、聞きたくない音を聞かされることは、このような心の静穏を侵害することになると考えている。このような利益が法的に保護を受ける利益としてどの程度に強固なものかについては問題があるとしても、現代社会においてそれを法的な利益とみることを妨げないのである。

 論旨(上告理由第一点)は、右の聞きたくない音を聞かない自由をもつて精神的自由権に属するものとし、それが本件商業宣伝放送を行うという経済的自由権に優越するものであるにもかかわらず、原判決がそれを看過していることは憲法の解釈を誤つたものであるという。しかし、私見によれば、他者から自己の欲しない刺戟によつて心の静穏を害されない利益は、人格的利益として現代社会において重要なものであり、これを包括的な人権としての幸福追求権(憲法一三条)に含まれると解することもできないものではないけれども、これを精神的自由権の一つとして憲法上優越的地位を有するものとすることは適当ではないと考える。それは、社会に存在する他の利益との調整が図られなければならず、個人の人格にかかわる被侵害利益としての重要性を勘案しつつも、侵害行為の態様との相関関係において違法な侵害であるかどうかを判断しなければならず、プライバシーの利益の側からみるときには、対立する利益(そこには経済的自由権も当然含まれる。)との較量にたつて、その侵害を受忍しなければならないこともありうるからである。この相関関係を判断するためには、侵害行為の具体的な態様について検討を行うことが必要となる。右のような観点にたつて、聞きたくない音を聞かない自由について考えてみよう。

 わが国において、騒音規制法が制定されており、工場や建設工事による騒音や自動車騒音について規制がされ、さらに深夜の騒音や拡声器による放送に係る騒音について地方公共団体が必要な措置を講ずるものとされている。しかし、一般的には、音による日常生活への侵害に対して鋭敏な感覚が欠除しており、静穏な環境の重要性に関する認識が乏しいことを否定できず、この音の加害への無関心さが音響による高い程度の生活妨害を誘発するとともに、通常これらの妨害を安易に許容する状況を生み出している。街頭や多数の人の来集する場所において、常識を外れた音量で、しかも不要と思われる情報の流されることがいかに多いかは、常に経験するところである。上告人の主張は、通常人の許容する程度のものをあえて違法とするものであり、余りに静穏の利益に敏感にすぎるといわれるかもしれないが、わが国における音による生活環境の侵害の現状をみるとき意味のある問題を提起するものといわねばなるまい。

 しかし、法的見地からみるとき、すでにみたように、聞きたくない音によつて心の静穏を害されないことは、プライバシーの利益と考えられるが、本来、プライバシーは公共の場所においてはその保護が希薄とならざるをえず、受忍すべき範囲が広くなることを免れない。個人の居宅における音による侵害に対しては、プライバシーの保護の程度が高いとしても、人が公共の場所にいる限りは、プライバシーの利益は、全く失われるわけではないがきわめて制約されるものになる。したがつて、一般の公共の場所にあつては、本件のような放送はプライバシーの侵害の問題を生ずるものとは考えられない。

 問題は、本件商業宣伝放送が公共の場所ではあるが、地下鉄の車内という乗客にとつて目的地に到達するため利用せざるをえない交通機関のなかでの放送であり、これを聞くことを事実上強制されるという事実をどう考えるかという点である。これが「とらわれの聞き手」といわれる問題である。

 人が公共の交通機関を利用するときは、もとよりその意思に基づいて利用するのであり、また他の手段によって目的地に到達することも不可能ではないから、選択の自由が全くないわけではない。しかし、人は通常その交通機関を利用せざるをえないのであり、その利用をしている間に利用をやめるときには目的を達成することができない。比喩的表現であるが、その者は「とらわれ」た状態におかれているといえよう。そこで車内放送が行われるときには、その音は必然的に乗客の耳に達するのであり、それがある乗客にとつて聞きたくない音量や内容のものであつてもこれから逃れることができず、せいぜいその者にとつてできるだけそれを聞かないよう努力することが残されているにすぎない。したがつて、実際上このような「とらわれの聞き手」にとつてその音を聞くことが強制されていると考えられよう。およそ表現の自由が憲法上強い保障を受けるのは、受け手が多くの表現のうちから自由に特定の表現を選んで受けとることができ、また受けとりたくない表現を自己の意思で受けとることを拒むことのできる場を前提としていると考えられる(「思想表現の自由市場」といわれるのがそれである。)。したがつて、特定の表現のみが受け手に強制的に伝達されるところでは表現の自由の保障は典型的に機能するものではなく、その制約をうける範囲が大きいとされざるをえない。

 本件商業宣伝放送が憲法上の表現の自由の保障をうけるものであるかどうかには問題があるが、これを経済的自由の行使とみるときはもとより、表現の自由の行使とみるとしても、右にみたように、一般の表現行為と異なる評価をうけると解される。もとより、このように解するからといつて、「とらわれの聞き手」への情報の伝達がプライバシーの利益に劣るものとして直ちに違法な侵害行為と判断されるものではない。しかし、このような聞き手の状況はプライバシーの利益との調整を考える場合に考慮される一つの要素となるというべきであり、本件の放送が一般の公共の場所においてプライバシーの侵害に当たらないとしても、それが本件のような「とらわれの聞き手」に対しては異なる評価をうけることもありうるのである。

 以上のような観点にたつて本件をみてみると、試験放送として実施された第一審判決添付別紙()のような内容であるとすると違法と評価されるおそれがないとはいえないが、その後被上告人はその内容を控え目なものとし、駅周辺の企業を広告主とし、同別紙()の示す基準にのつとり同別紙()のような内容で実施するに至つているというのであり、この程度の内容の商業宣伝放送であれば、上告人が右に述べた「とらわれの聞き手」であること、さらに、本件地下鉄が地方公営企業であることを考慮にいれるとしても、なお上告人にとつて受忍の範囲をこえたプライバシーの侵害であるということはできず、その論旨は採用することはできないというべきである。

     最高裁判所第三小法廷

         裁判長裁判官    貞   家   克   己

            裁判官    伊   藤   正   己補足意見

            裁判官    安   岡   滿   彦

            裁判官    坂   上   壽   夫

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